子どもの頃、文房具屋さんは小さなデパートだった―。そんな店が、銀座通りに健在だ。しかも驚くなかれ、一般文具から技術・美術の専門用具まで、品揃えのルートは、全市場の9割をカバーする。取寄は翌日入荷、もはや都心に足を運ぶ必要はない!
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女子学生に人気のカラフルペン。この充実度は並大抵ではない。雑誌掲載の商品も揃う。
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招き猫がやさしく語りかけてくれる、暖かな雰囲気。
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小学生に人気のコーナー。小さな子どもからお年寄りまで、あらゆる層に対応するショップだ。
店長からの一言
山崎 和正さん
お客さまのご希望に添えるよう、ご不便をおかけしないようにと、三多摩でもかなりの品揃えを自負しております。無理だと思われる注文も遠慮なくお申し出ください。よろこんで対応させていただきます。それが私共の勉強になるわけですから。
基本情報
店名 | やまみ屋 |
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住所 | 福生市志茂184 |
電話 | 042-551-1079 |
営業時間 |
9:00~19:30 (日曜・祝日は~18:00) |
定休日 |
土曜 第2日曜 |
駐車場 | 3台 |
カード使用 | 不可 |
URL |
ストーリー
紙にまつわる、あらゆる専門領域をバックアップ
佇まいは一見、普通の"町の文房具屋さん"。なのに、一般文具、オフィス用品は言うに及ばず、製図関係、美術関係、技術関係と、あらゆる専門領域に対応できる実力派ショップと聞いて、思い込みを恥じた。「アイテム数は2万ほど。品揃えに関しては三多摩でもかなりのレベル」と店主の山崎さん。在庫の層ももちろん厚い。
目からウロコなのが、「言ってもらえれば、欲しいものは何でも揃いますよ」と、店にない特殊な商品でも取り寄せで、翌日に届くというシステムだ。量販店で「1週間かかります」といわれ、苦い思いを何度か味わった身にとって泣けてくるほどの画期性だ。これはひとえに、各メーカーと直結のパイプを開拓した、山崎さんの努力のたまものゆえのこと。
しかも「一般市場の9割方は網羅してます」というのだから、わざわざ伊東屋や東急ハンズに行かずとも、福生に居ながらにして、専門的な製品だろうが必要な品が翌日入手可能(~前日18時までの注文で)というわけなのだ。これを、"耳寄り情報"と言わずして、何と言う!?
地域に密着した、町の文房具店だからこそ
なぜか、文房具屋さんの匂いは郷愁を誘う。店内は子どもの頃のワクワク感が甦る、楽しい空間だった。女子中・高校生に人気のカラフルペンのバリエーションたるや、圧巻。小学生の学習ノート、習字セットにOA用品に法令集、50色以上もの色画用紙やラシャ紙等々、店内に陳列された各商品の層の厚さは、とにかく見事、見飽きることがない。
「小さなお子さんから高齢の方まで、皆さんに喜んで帰っていただくように・・」と、創業以来、変わらないモットーを今も貫く。だからなのか、山崎さんの80歳になるお母さんや、女性陣のあたたかな笑顔に心癒される。依頼があれば、「重いもの、かさばるもの、何でもお届けいたします」と配達も行う。高齢者にとって、どれほど買物がしやすいことだろう。「地域に根ざした店として、お客さまのニーズに応えられるよう、日々勉強していかなければ・・」と山崎さん。元気な文房具屋さんが健在な町に住んでいることは幸せだと、心から思うのだ。
文房具屋さんの店先から、<時代>が見える!?
かつて、ガキ大将がいた頃
やまみ屋の創業は、今から50年前。所沢にある日用品の卸問屋で働いていた山崎さんのお父さん・武美さん(大正9年生まれ)が35歳の時、妻のふるさと・福生で、日用品の店を構えたのが始まりだ。主婦相手の商売にやがて、小中学生のための文房具も扱うようになる。
昭和30年代の銀座通りは舗装されていない砂利道で、空き地も多く、腕白小僧たちはいたずらをして大人たちに追いかけられる日々を過ごしていたという。「実はガキ大将だった」と山崎さん。「あの頃は、子どもたちがとぐろを巻いて遊んでいたよ。店は小学生でいつも、ごったがえしてた」と。当時は朝7時に店を開けていた。「学校に行く前に、買いにくる子がいましたし。店を閉めるのは夜8時、近くにそろばん塾があったから」。闇に浮かぶ、やまみ屋の灯りに、塾帰りの子どもたちはどれだけホッとし、足を緩めたことだろう。
ガキ大将が消え、外で遊ぶ子どもの集団が銀座通りから消えた頃から、やまみ屋の商品の主力は事務用品へと変わっていく。「子どもの数がガタガタ、目に見えて減っていった」と山崎さん。転機は、20年ほど前。子どもと入れ替わるように、福生に企業が増えてきた。
町の文房具屋さんの生き残りをかけて
日本全国どこの商店街からも今、文房具屋さんが消えている。量販店の進出に加え通販、100円ショップなどが安価な文具を扱うようになったからだ。「確かに、影響は大きいです」と山崎さん。「しかし、そろそろ、すみわけができてくるのではとも思うんです。これは安くていい、でもこれはいい製品じゃなきゃと。だからこそ、いい製品を、喜ばれる価格で販売していきたい」と願う。山崎さんは、メーカーの研修会などで勉強することを欠かさない。「世の中の流れが早いですから、自分の目で勉強していかないと。率先して前に向かっていかないとダメになってくる」と。メーカーとのパイプを積極的に開拓したのも、生き残りをかけてのことだ。
今後は紙だと、山崎さんは言う。「ありきたりな製品だけではなく、特殊な紙がすぐ入るように」ルートも確立した。お客が本当に欲しているものに、どこまでも付き合ってくれる商売があってもいい。それは、絶対に無くてはならないもののはずだ。