三多摩で二人という20代の畳職人が、わが町に。
イグサ農家の思いを胸に、
お客の喜びのためにと日々、精進を怠らない。
<畳で心に安らぎ>をモットーに、
親子2代で未来に向かう畳店が今、アツイ。
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2色のカラー畳を市松模様のように敷き詰めた中学男子の部屋も、喜んでもらえた。上品な市松模様に織ってある。一度使って頂いたお客は繰り返し使ってもらっている。
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フローリングの洋風の部屋に、灰桜色の縁なし畳を市松模様に張った部屋。ぐんと、グレードアップした。
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余った畳の縁で作られたポーチは女性に人気。実にカラフル。畳替えをされたお客には、うれしいプレゼントが。
店長からの一言
安藤廣之さん・達広さん
畳のことでしたら、何でもお気軽ご相談いただければと思います。見本を持って、すぐにお伺いいたします。お見積もりは無料ですし、畳の状態を見てアドバイスさせていただきます。朝、畳を引き上げて夕方に納品となります。床下の掃除もいたします。父と息子、二人で仕事をする畳屋です。どうか、お気軽にお電話いただければと思います。
基本情報
店名 | 安藤畳店 |
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住所 | 福生市福生2457-6 |
電話 | 042-551-1193 |
営業時間 |
8:00~19:00 |
定休日 |
日曜 (応相談) |
駐車場 | 2台 |
カード使用 | 可 |
URL | https://andotatami.com/ |
ストーリー
息子が、福生に帰ってきた!
作業場には父と息子、二人の姿があった。
「オレ、会社辞めたから。畳屋やるから」
父・廣之さんは耳を疑った。まさか、息子が畳屋を継ぐとは夢にも思っていなかったからだ。創業52年のこの春、安藤畳店は喜びに湧いた。家を出て、旅行代理店に勤務していた長男の達広さん(26)が福生に戻り、畳職人としての人生をスタートさせたのだ。
達広さんはジャニーズ系のイケメン、3年間着ていたスーツから、作業着姿への転身となった。父・廣之さんが目を細める。
「基本、二人で作業しています。朝、引き取りに行って、夕方に納めに行くまで。息子と二人で仕事ができるのは、すごくうれしいです。張り合いが違う」
畳をあげる際には家具の移動も行い、畳を入れれば家具を元に戻す。お客の手を煩わすことはない。部屋だけでなく、床下まで掃除してくれる。
「きれいになってよかったーって、お客さんが満足してくれるのがうれしいですね」と達広さん。
実は部屋というのは、設計図通りに四隅が直角ではないのだという。廣之さんがこう説明する。
「微妙に広がっていたりと、部屋って歪んでいるんです。だから6畳の畳6枚、全て同じ寸法ではないんです。1枚1枚寸法が違う。それを図って、1枚1枚作るわけです。全て、オーダーメイドですね。その畳をぴたりと納めるのは、職人の腕ですね。失敗しない人は、畳職人で誰もいないと思いますね」
家具を動かし、畳を上げ、何もなくなった部屋でまず、寸法を測る。
「直角を出すには、数学を使うんです。ピタゴラスの定理です。これが畳の設計図ですが、細かく寸法を出すんです。納品の時に入らないと悔しいし、お客さんの手前、かっこ悪い。だから、絶対にうまくなろうと思うわけです」(廣之さん)
その設計図、「三分大」とか「四分小」とか、素人が見てもさっぱり訳がわからない。
「畳屋は衰退産業ですが、既製品が作れないので、畳職人は無くならないわけです」と廣之さん。
畳を作る、畳表を替えるという技術だけでなく、数学的頭脳も要求される畳職人の世界。経験を積むしかなく、一人前になるには時間がかかるというのもうなづける。実は大変な世界に、達広さんは飛び込んだのだ。
和紙の畳表で、子ども部屋にも畳を
問い合わせを受ければ、畳の見本を入れたA4のファイルを持って見積もりにうかがう。国産のイグサを編んだものが、品質が高く長持ちするので、安藤畳店では国産にこだわっている。もちろん中国産も以前と比べれば、ずっとクォリティは上がっているが、国産にはかなわない。
ファイルに入った畳表を見比べてもらい、お客が値段との兼ね合いで選択する。畳の端が大切なのは、植物であるイグサは穂先に行くほど弱くなるので、できるだけ真ん中部分を編んでいるのが上質なため、それを実際に見てもらう。その違いは一目瞭然だ、
最近は和紙をイグサのように編んだ、カラー畳が人気だ。変色しない、毛羽立たない、丈夫だというメリットもある。実にさまざまなカラーバリエーションがあって驚いてしまう。なんと、ピンクまで!
「この前、小学生の女の子の部屋にピンクの畳を敷きました。すごく喜んでくれて、かわいかったですよ」と達広さんもうれしそう。
2色のカラー畳を市松模様のように敷き詰めた中学男子の部屋も、喜んでもらえた。カラー畳を子ども部屋に使うのは、フローリングより暖かく安全で、寝転んで寝てもいいし、いいことづくめのような気がする。
畳の縁にもキティちゃんがあったり、ポップな柄からトラディショナルなものまで、さまざまなバリエーションがある。こうして畳表と縁を選んでもらって見積もりを出し、作業日を決める。これが作業までの一通りの流れだ。
「仕事してても、そばにいるのが息子だというのがうれしいですねー。お客さんにもう一回、息子とつながってもらえるようにと、考えるのは未来のことばかりです」
これまでは「どう終わるか」ばかり考えていたというから、天と地の差だ。
畳職人の世界にとって一つの希望が、ここ福生に生まれたことが誇らしい。未来に向かう父子鷹を心から応援したい。
サイドストーリー
両手で包んだ小鳥を、逃さぬように
安藤畳店の創業は、昭和41(1966)年。廣之さんの祖父が立川で畳店を営んでおり、次男である廣之さんの父が福生で独立した。ちなみに三人兄弟の長男は立川を注ぎ、三男は昭島で開業した。
廣之さんは周りが畳屋ばかりなので、「自分も継ぐんだろう」とは思っていた。高校卒業後、父の元で働きながら、夜は夜間大学で経済学を学んだ。畳職人の世界に「本気になった」のは、24歳で結婚したのがきっかけだった。翌年には長男・達広さんが誕生。次男、長女と子どもが次々に生まれた。
「家庭という、背負うものができた。これは本気でやらないと今、オヤジがぽっくり逝ったら、オレは何もできない。全部、自分でできるようにならないと」
一人前になるには、時間がかかる。人によって「手が違う」のだという。職人一人一人が研究して、自分のやり方を作り上げる世界。廣之さんはいろいろな手を見て、学んで行った。祖父が、よく言っていた言葉がある。
「両手で持った小鳥を殺さぬように、逃さぬように、糸を締めるんだ」
畳表を張る時、ただ強く引っ張ればいいというわけではない。強ければ畳が持たない、弱ければシワが寄る。「小鳥を逃さないようにつかむ」というのは、その微妙な力加減のことを指していた。
「それは経験を積まないとわからない。畳には一つ一つ工程があって、すべてをきちんとしないといいものにはならない。引っ張り具合も、材料によって違う。とにかく、畳の気持ちにならないと」
畳職人の世界に入って半年。達広さんは「ものづくりが楽しい」と言う。立川の本家に手伝いに呼ばれることも多く、達広さんは「いろんな手」を見て学んでいる。とりわけ、81歳のベテラン職人に教わることが得難い経験となっている。
イグサ農家の思いを、お客に伝えたい
廣之さんには、「イグサ農家の顔を、お客さんに伝えたい」という思いがある。イグサの産地は熊本・八代。畳表には、生産者夫婦の顔を名前が付いている。そこにはこう記されていた。
「国内の主産地、熊本県の八代地方で栽培・製織された畳表です。私たちが製織した安心の純国産品です。小松利也」
廣之さんは、わざわざ小松さんを訪ねたという。小松さんは有機栽培したイグサを、昔ながらのやり方で一束一束、土で染める。そうすることでムラが出ないという。泥で染めた後、乾燥させて、織り上げる。
「訪ねて、納めたばかりの写真を見てもらったら、すごく喜んでくれました。がんばっている農家さんのことを、お客さんに伝えて行かないと申し訳ない」
有機栽培で無着色の畳表だから、赤ちゃんが舐めても安心なのだ。
こうした地道な父・廣之さんの歩みに、大学時代はバックパッカーとして25ヵ国を旅したという達広さんが、どんな新たな世界を見せてくれるのか。
「これからは若いのが中心になるべきなんです。畳の縁の余ったものを、こいつ、メルカリに出したんですよ。そしたら、売れちゃって……」
畳の縁を生地として使いたい人が、結構いるのだという。とはいえ、余った畳の縁をフリマアプリで出品してしまうとは……。この発想は、父の世代ではあり得ない。
海外を回った経験が深い達広さんだから、思うことがある。
「畳は、日本固有の文化。帰ってくると、畳が一番いいなーって思います。固有の文化と技術を継承していければと……」
廣之さんの目が輝く。
「3代目として息子がやってくれる。これはもう、今までと張り合いが全然違います。ジジイの感覚が、オレから無くなりました。未来にどうつなげていくか、前しか向いてないですから。二人で未来に向かって歩いて行きます」
若き畳職人の力で畳の魅力をどんどん発信して、畳文化の復権につなげてほしい。今、安藤畳店はアツく燃えている。